捕虜たちの声なき声に耳を傾けて |
英連邦戦死者墓地
~捕虜たちの声なき声に耳を傾けて~
初夏のイギリス区 |
太平洋戦争中に日本国内で死亡した連合軍捕虜は約3500人。そのうち、アメリカ人とオランダ人の遺骨は戦後母国に持ち帰られましたが、イギリス、オーストラリア、カナダ、インド、ニュージーランドなど英連邦の人々の遺骨は横浜の英連邦戦死者墓地に埋葬されました。
この墓地の敷地は、戦前は横浜市の児童遊園地でしたが、戦後進駐軍に接収され、1951年のサンフランシスコ講和条約によって、ここを英連邦の戦死者墓地にすることが決められました。土地は日本政府の所有ですが、イギリスに本部を置く英連邦戦死者墓地委員会に永久無償貸与され、同委員会が管理しています。
墓碑 |
13ヘクタールの広大な敷地は、イギリス区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、インド・パキスタン区、戦後区に分けられ、各区に1人1人の墓碑が整然と並んでいます。墓碑には氏名、部隊名、階級、認識番号、死亡年月日、年齢、遺族の言葉などが刻まれています。またイギリス区の一角にある納骨堂には、南方から捕虜輸送船で門司港に到着した直後に死亡、合同で火葬されたため、戦後、識別不能の335人分の遺灰が横浜に届きました。イギリス人266、アメリカ人48人、オランダ人21、その名前は壁面に顕彰されています。この墓地全体の被葬者は約2000人ですが、うち約1700人が捕虜として亡くなった人々で、その他は戦後進駐軍として駐留中に死亡した人々や朝鮮戦争の犠牲者です。
納骨堂 |
秋のオーストラリア区 |
墓地では毎年、4月25日(アンザック・デー)にはオーストラリアとニュージーランド大使館主催の慰霊祭、5月末には米海軍によるメモリアル・デイの式典、8月第1土曜日には永瀬隆氏、雨宮剛氏、斎藤和明氏の呼びかけによって始まった日本人市民による追悼礼拝、11月11日近くの日曜日には英連邦各国大使館主催のリメンバランス・デイの慰霊祭が行われています。
POW研究会の田村佳子と笹本妙子は2014年から、毎年8月の追悼礼拝ごとに、この墓地に眠る人々の生と死の物語を3人ずつ紹介してきました。
墓地はいつも静寂に包まれ、硬い石の墓碑は何も語ろうとしませんが、私たちは彼ら一人一人の声なき声に耳を傾けようと、その足跡を追ってきました。彼らはどのような経緯をたどって日本に送られてきたのか、収容所でどのような生活だったのか、どのようにして亡くなったのか、残された家族はどのような思いだったのかーーその苦難に深い思いを寄せながら書き綴った以下の小文を、皆さんがこの墓地を訪れたときの「しるべ」としてご利用いただければ幸いです。
カナダ・ニュージーランド区。4月のアンザックデー |
インド・パキスタン区。8月の追悼礼拝 |
2014年/ 2015年/ 2016年/ 2017年/ 2018年/ 2019年/ 2020年/ 2021年
なお、この墓地に眠る1700人余りのリストは、「死亡捕虜リスト」のページをご覧ください。氏名、所属部隊、階級、死亡日、死因、死亡地等が記されています。