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学習会・講演会

2008年POW研究会例会「福島抑留所をめぐって」

日時:2008年6月7日〜8日
場所:福島市・旧ノートルダム修道院他

1942年7月、福島市内のノートルダム修道院(現・桜の聖母短大マルグリット館)に敵国民間人抑留所が設置され、インド洋で拿捕された様々な国籍の船の乗員乗客約140名が収容され、終戦まで苦難の日々を送った。この抑留所の存在は本国にも国際機関にも知らされず、近隣住民にも秘匿されていた「秘められた抑留所」であった。

2008年P研例会は、当時の姿を今も残すこの修道院で、「福島抑留所」をテーマに講演会や見学会を行った。会場の提供など様々な便宜を図った下さった同修道院のご協力に深謝したい。

>>旧ノートルダム修道院見学を伝える福島民友新聞記事(2008.6.8.付)

 

6月7日

講演会

「太平洋戦争下の敵国人抑留所について」
小宮まゆみ(P研会員)

・日本国内にあった抑留所の概要(省略)。

・福島抑留所の特徴──インド洋で拿捕された様々な国籍の船の乗員乗客約140名を収容。国籍は11ヵ国に及び、年齢層も0歳から60代までと幅広く、男女混合、職業も様々な集団であった点が、他の抑留所と著しく違う。

・抑留所の存在は、1944年3月に国際赤十字が視察に来るまで、本国にも国際機関にも知らされていなかった。

「福島外国人抑留所と原爆投下部隊」
紺野滋(福島民友新聞論説委員・「福島にあった秘められた抑留所」著者)

・市民は、福島市が空襲を受けなかったよりどころを「外国人抑留所」に求めた。(事実は違うのだが)

・信夫山には、戦争末期に地下航空機工場が作られたが(松代大本営地下壕に匹敵する広さ)、米軍には知られなかった。実際には、エンジン数個作っただけで終戦。

・市内には軍需工場もあったが、郡山市などに比べて優先順位が低かった。

・そこ(無傷の軍需工場)を狙って、45年7月20日に原爆投下部隊が本番に向けた投下訓練のための模擬原爆「パンプキン」を投下した。投下パイロットは抑留所の存在を知らなかった。模擬原爆の破片は瑞龍寺で保管・展示。破片の現物は全国で唯一ここだけ。

「福島抑留所〜沈黙のとばりを上げる」
Robert Murphy(P研会員・福島大学教授)

・紺野さんや小宮さんの研究成果をベースに、スイスの赤十字や各国の公文書館などの資料、元抑留者の記録や証言を集めて論文を書いた。

・アメリカの研究者ロジャー・マンセルによると、福島抑留所は抑留所の中では最も多く資料が残されているというが、日本では皆無に等しく、地元民を含め日本人にはほとんど知られていない。その落差に愕然。

・視察に来た国際赤十字は、この抑留所の待遇について「他に比べればマシ」と報告しているが、実際の生活は過酷で、抑留者たちは抵抗し、生き延びるために悪戦苦闘した。

・抑留者たちの国籍、年齢、職業、性別、宗教は多種多様で、それゆえの様々な軋轢や対立があった。

・沈黙のとばりを上げ、この史実を日本や世界の人々に伝えていかねばならない。

旧ノートルダム修道院見学

・昭和10年完成。横浜の英連邦墓地と同じ工務店が建設した美しい修道院。当時の抑留所の状態が今も見られる、おそらく日本で唯一の施設。

・抑留所を管理していた特高警察の事務室では、抑留者がたびたび体罰を受けた。

・抑留者は男女別々の区画に収容され、厚い鉄の扉で隔てられていた。抑留者たちはその扉越しに秘かに会話を交わしたり、扉の下のすき間からメモをやりとりしていた。

・ある部屋のドアのガラスに、抑留者の少女が描いた落書き(ウサギかクマの絵)が今も残っている。何年か前にその元少女が修道院を再訪し、確かに自分が描いた絵だと証言。

・抑留者たちは外出を許されず、1年中窓を閉め切って暮らしていたので、近隣の人々はその存在をほとんど知らなかった。

ビデオ鑑賞(桜の聖母短大にて)

・1992年放送の番組(紺野氏出演)

・2007年放送の番組(マーフィー氏出演)

信夫山墓地見学

この墓地の一角に、1945年4月7日に福島抑留所で病死したオーストラリア人看護婦エリザベス・グリソンと、同年8月28日に米軍が投下した救援物資の直撃を受けて死亡したオランダ人女性キャロライン・エレーナの墓がある。戦後、グリソンの遺骨は横浜の英連邦墓地に移され、エレーナの遺骨は抑留中に結婚したギリシャ人の夫が持ち帰った。

 

6月8日

瑞龍寺(福島市渡利)にて模擬原爆の破片を見学

・1945年7月20日、B29から投下された模擬原爆(中には約2トンの高性能火薬)がお寺近くの田圃に落ち、草取りをしていた16歳の少年が破片の直撃を受けて死亡した。その少年の親が供養のために、破片をお寺に寄進したという。

・厚さ3センチ、幅20センチ、長さ50センチほどの鉄の破片は非常に重く、爆弾の威力を生々しく実感できる貴重な戦争遺物である。

笹本妙子 報告

抑留所が設置された旧ノートルダム修道院

抑留者が居住した部屋の1つ

グリソンとエレーナの墓

瑞龍寺に保管されている模擬原爆の破片