1945年3月8日午前 |
広島県呉市沖とサイパン島の間 |
B29(機体番号42ー24721、ニックネーム「SU−SU BABY」、第73航空 団500爆撃群所属)が墜落。 |
6人が米軍の潜水艦に救助された。 |
1945年3月18日午後 |
愛媛県八幡浜市佐島 |
空母ヨークタウンから飛来したF6F(機体番号72013)が墜落。 日本軍戦闘機との空中戦で撃墜された。 |
Ardon R.IVES海軍中尉が死亡。遺体は5月25日に地元の人によって海中から発見された。 |
1945年3月18日 |
愛媛県日振島付近 |
空母イントレピッドから飛来したFG1D(機体番号82647)が墜落。 宇和島付近の島を低空で機銃掃射中、機体を破損して海上に不時着。 |
William L.LANDRETH海軍中尉は海上を漂流、20日に日本海軍に捕まり、4月2日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日午前8時頃 |
広島県呉軍港付近 |
空母エセックスから飛来したSB2C(機体番号20788)が墜落。 |
Louis D.WILLIS海軍中尉の遺体が海上を漂流しているのが5月5日朝に発見され、呉の金立火葬場で火葬。もう1人の乗員Carl C.ROBERTSON三等飛行通信兵曹は行方不明。 |
1945年3月19日午前8時20分頃 |
広島県呉軍港付近 |
空母ホーネットから飛来したSB2C(機体番号19561)が墜落。 |
Douglas J.YERKA海軍大尉とEdward PETERNELL二等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年3月19日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ホーネットから飛来したSB2C(機体番号19658)が墜落。 |
William H.LAWS海軍中尉とEugene S.BARROW二等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年3月19日 |
広島県呉軍港付近 |
空母イントレピッドから飛来したSB2C(機体番号20971)が墜落。 |
Crawford H.BURNETTE三等飛行通信兵曹とRobert BRINICK海軍少尉が捕虜になり、BRINICK海軍少尉は3月24日に、BURNETTE三等飛行通信兵曹は5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日 |
広島県呉軍港付近 |
空母バンカーヒルから飛来したSB2C(機体番号20803)が墜落。 |
Millard WILCOX二等飛行通信兵曹は溺死。John D.WELSH海軍中尉が捕虜になり、24日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日 |
広島県広島湾 |
空母エセックスから飛来したSB2C(機体番号20711)が墜落。 |
Winston J. LAY海軍中尉とArne W. LORENTZEN一等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年3月19日 |
広島県呉軍港付近 |
空母エセックスから飛来したSB2C(機体番号19451)が墜落。 |
氏名不詳の2人が死亡。 |
1945年3月19日午前8時頃 |
広島県佐伯郡沖村(現・江田島市沖美町)字畑 |
空母ホーネットから飛来したTBM(機体番号68064) が墜落。 20機ほどの編隊が西へ飛行中、1機が煙を吐いて、現在の江田島市役所沖美町支所の南付近に墜落、民家2軒を焼いた。 |
Robert H.WILLIAMS三等飛行通信兵曹は佐伯郡高田村(現・江田島市能美町高田)の野登呂山の山頂付近にパラシュート降 下して捕まり、Talmadge WESTMORELAND海軍中尉とHarold W.WEST三等飛行射撃手は沖村にパラシュート降下して捕まった。彼らは江田島憲兵隊に引き渡され、WESTMORELAND海軍中尉は3月24日に、WILLIAMS三等飛行通信兵曹とWEST三等飛行射撃手は5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 江田島市の元写真館経営の増井寅男氏は、WESTMORELAND海軍中尉とWILLIAMS三等飛行通信兵曹が江田島憲兵隊か ら呉海軍基地へ連行される時の写真を保管されており、2001年にWILLIAMS氏との連絡がつき、写真のコピーが送られた。 |
1945年3月19日午前7時50分頃 |
広島県呉軍港付近 |
空母ベニントンから飛来したF4U(機体番号82518)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜された。 |
Ralph A.RUSSELL海軍少尉がパラシュート降下するのが見られたが死亡した模様。 |
1945年3月19日午前8時頃 |
広島県安芸郡郷原村(現・呉市吉浦町)の吉浦海軍部隊の郷原兵舎付近の山中 |
空母ベニントンから 飛来したF4U(機体番号82362)が墜落。 呉軍港を攻撃中に、松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜され、炎上した。 |
Gordon K.WOOSTER海軍少尉がパラシュート降下したが、瀕死の重傷を負っており、呉海軍の兵士によって担架で基地へ運ばれたが、翌日午前に死亡。呉市の金立火葬場で火葬。 |
1945年3月19日午前 |
広島県呉軍港付近 |
空母ホーネットから飛来したF6F(機体番号70991)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜された。 |
Edwin W. MATTHEWS海軍少尉が21日に捕虜になり、5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米 国へ帰還。 |
1945年3月19日午前 |
山口県大島郡ヒライ村付近の海上 |
空母ベニントンから飛来したSB2C4偵察爆撃機(機体番号26−2088−60)が墜落。 |
Clifford A.BROWN二等飛行兵曹とDonald D.WORDEN海軍大尉が漂流中に捕虜。 BROWN二等飛行兵曹は3月24日 に、WORDEN海軍大尉は5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日午前8時10分頃 |
愛媛県松山市沖の伊予灘 |
空母ワスプから飛来したSB2C(機体番号20772)が墜落。 呉を空襲後撃墜された。 |
William McREYNOLDS三等飛行通信兵曹が死亡。Harold R.EYER海軍少尉は20日に捕虜になり、 5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日 |
愛媛県越智郡菊間町沖 |
空母エセックスから飛来したSB2C(機体番号20702)が墜落。 |
Eugine J.TOUGAS海軍中尉は20日に、Charles J.RICHARDSON二等飛行通信兵曹は21日に捕虜になり、5月11日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日午前8時頃 |
愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)の西条(小松?)飛行場付近 |
空母ヨークタウンから飛来したF6F (機体番号70630)が墜落。 西条(小松?)飛行場を攻撃中に墜落。 |
Richard R.PRIOR海軍中尉が死亡。小松町字シンヤシキの公共墓地に埋葬。 |
1945年3月19日午前 |
愛媛県伊予郡広田村付近の山中 |
空母ホーネットから飛来したF6F(機体番号71754)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜された。 |
Forrest McCORMIC海軍中尉が捕虜、21日に呉海軍刑務所へ送られた。負傷していたため7月9日まで治療を受けた後、大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日 |
愛媛県上浮穴郡久万町父二峯 |
空母ホーネットから飛来したF6Fが墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜された。 |
Strother F.KIPP海軍大尉が死亡。遺体は6日後に地元の警察官らによって発見された。 |
1945年3月19日午前7時40分頃 |
愛媛県沖の伊予灘 |
空母ホーネットから飛来したF6F(機体番号72372)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機との交戦で撃墜された。 |
Charles F.WEISS海軍大尉が21日に捕虜。24日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年3月19日午前 |
高知県香美郡日章村(現・南国市)の海岸沖 |
空母ベニントンから飛来したF6F(機体番号72209)が墜落。 高知付近の飛行場を攻撃中に対空砲火を受けて海中に突っ込んだ。 |
Earl A.McALLISTER海軍中尉が死亡。23日に遺体が漁師によって引き上げられ、海岸に埋葬された。 |
1945年3月19日 |
高知県の南西10マイル沖 |
空母ホーネットから飛来したF6F(機体番号72569)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機と交戦、炎に包まれて撃墜された。 |
Roger W.KAHR海軍中尉が死亡。 |
1945年3月19日 |
高知県沖と空母ホーネットの間 |
F6F(機体番号70675)が墜落。 松山基地の343海軍航空隊の戦闘機と交戦で撃墜された。 |
Noel L.HANNAH海軍少尉が死亡。 |
1945年4月20日 |
愛媛県喜多郡長浜町青島の海岸沖 |
米兵の遺体が漂着。 戦後の米軍調査で、彼の搭乗機は3月の空戦で伊予灘に墜落したものと推定されたが、身元は確認できなかった。 |
1945年6月17〜18日 |
高知県幡多郡大内町(現・大月町)柏島クロ村の沖合 |
B29(機体番号44−69845、第314航空団19爆撃 群所属)が墜落。 (注)作戦任務第206号(目標:鹿児島市街地、第314航空団から出撃120機、損失1機) |
機長のStanley T. BREWER大尉など11人全員死亡。このうちWilliam R.KELLER二等軍曹の遺体が柏島付近の海岸に漂着した。 |
1945年6月21日 |
高知県安芸郡室戸町(現・室戸市)カンノウラ |
氏名不詳の米兵の遺体が漂着。 |
1945年6月22日午前10時頃 |
高知県高知市神田町吉野の鷲尾山の山林 |
B29(機体番号44−70084、第58航空団468爆撃群 所属)が墜落。 呉の攻撃に向かい、対空砲火を受けてエンジンから火を吹き、空中爆発して墜落。 (注)作戦任務第215号(目標:呉海軍工廠、第58・73航空団から出撃195機、損失2機) |
11人の搭乗員のうち7人が機体とともに墜落死、現場付近に埋葬。 4人がパラシュート降下して捕虜になり、そのうちAlvine EINSTEIN軍曹、Staneley B.PATRICK軍曹、John H.MOORE Jr.軍曹の3人は、高知憲兵分隊で取り調べの後、夕刻に四国155部隊の営倉に収容。さらに26日に、呉海軍基地の要請 で呉に送られ、7月9日に大船海軍捕虜収容所へ移送、戦後米国へ帰還。 Theodore W.PRINCE軍曹は、降下時に重度の火傷を負っており、いったん高知陸軍病院に収容されたが、憲兵隊の命令により、他の3人の捕虜飛行士と同じく155部隊の営倉に移された。そのため、十分な医療手当が受けられず24日に死亡。 戦後の戦犯裁判で、この処置が不当であったとして、高知憲兵隊司令官代理の山本丈夫中尉が無期懲役、155部隊の田村甫軍医 大尉が懲役25年、同見習い軍医高見信一郎准尉が懲役20年、高知陸軍病院の筒井肇軍医大尉が懲役5年となった。 【現場付近の男性(1933年生まれ)の話】 当日は朝から高知の町へ用事で出かけていた。1機のB29が煙を吐きながらたどたどしい飛び方で飛来し、次第に高度を下げ、市街 地の上空付近で空中爆発し、主要部分は吉野の、現在砂防ダムのあるあたりに墜落した。家の近くに落ちたと思い、あわてて帰宅した。 その途中、目隠しをされ後ろ手に縛られた捕虜の1人がダットサンの車に乗せられて連行されるのを見た。帰宅した時にはすでに憲兵や 警察が来て警戒線を張っていた。 その日、友人の中学生たち5人が鷲尾山へ山桃を取りに行っていて、2人が墜落したB29のガソリンを浴びて焼死した。 米兵の遺体は墜落現場付近に埋められ、戦後、占領軍対策として十字架が立てられた。米軍はジープで遺体の回収に来たが、土をふるいにかけて遺骨を探す徹底ぶりだった。B29の残骸を利用して日用品の道具を作っていた人もあった。 |
1945年6月22日 |
呉とサイパン基地の間 |
B29(機体番号44−69993、第73航空団498爆撃群所属)が墜落。 故障のためサイパン基地で墜落。 (注)上記作戦の損失機2機のうちの1機 |
死者なし。 |
1945年6月29日午前4時頃 |
岡山県児島郡甲浦村(現・岡山市)大字宮浦 |
B29(機体番号44−61573、第58航空団468爆撃群 所属)が墜落。 岡山空襲の飛行機が、エンジンから火を吹きながら東から西へ低空で飛来、宮浦の上空で失速して金上池の北側の山林に墜落して爆発、炎上した。 (注)作戦任務第234号(目標:岡山市街地、第58航空団から出撃141機、損失1機) |
機長のMelvin W.MORRIS中尉など11人全員死亡。遺体は、墜落現場付近にバラバラに散らばり判別できない状態であったが、 ちぎれた15本の足や肉片を集めて現場付近に埋葬した。戦後、米軍対策として墓を作って埋葬し直し、十字架を建てた。 |
1945年6月?日 |
愛媛県西宇和郡ミツケの沖合 |
飛行機が墜落。 |
1945年7月4日未明 |
高知県高知市の高知公園付近 |
B29(機体番号42−24774、ニックネーム「MISS HAP」、第73航空団497爆撃群所属)が墜落。 高知空襲中に炎上中の市街地に墜落、現場は猛火に包まれた。 (注)作戦任務第248号(目標:高知市街地、第73航空団から出撃129機、損失1機) |
機長のKeith N.MERRILL少佐など13人全員が死亡したが、判別できた遺体は5遺体だけで、高知陸軍病院の背後の丘に埋葬された。 |
1945年7月4日 |
香川県高松市沖とテニアン島の間 |
下記の2機のB29が墜落。 (注)作戦任務第247号(目標:高松市街地、第58航空団から出撃128機、損失2機) |
B29(機体番号42−63500、ニックネーム「GRAVEL GERTIE」、第58航空団468爆撃群所属) 高松市を空襲して帰着時に、事故によりテニアン飛行場の沖合1マイルに墜落。 |
1人だけが米軍に救助されたが、他は死亡。 |
B29(機体番号42−63414、第58航空団497爆撃群所属) テニアン飛行場を離陸直後に不時着。 |
1945年7月24日 |
広島県安芸郡江田島村(現・江田島市)矢ノ浦 |
FG1D(機体番号88224)が墜落。 |
搭乗員1人は致命傷を負って死亡。広島県安芸郡江田島村中郷の小用峠の火葬場に遺体。 |
1945年7月24日午後4時頃 |
広島県佐伯郡江田島柿浦村(現・江田島市大柿町)の海中 |
空母ハンコックから飛来したTBM(機体番号85863)が墜落。 日本海軍の空母天城を攻撃中に対空砲火を受けた。 |
W.C.CALLON海軍中尉、Alton PORTER飛行機関兵曹、J.J.SCURBA三等飛行通信兵曹の3人が死亡。 |
1945年7月24日午前10時頃 |
広島県安芸郡音戸町(現・呉市音戸町)藤脇 |
空母ハンコックから飛来したTBM(機体番号86116) が墜落。 空母天城、または戦艦日向を攻撃中に対空砲火により墜落、民家10軒が炎上。 |
Clarence A.TIEGE海軍中尉とJack S.KEELEY三等飛行通信兵曹のうち1人は機体とともに墜落、1人はパラシュートが開かず、音戸町のハタノ山に墜落死。 他の1人Luther H. JOHNSON三等飛行射撃兵曹は、パラシュート降下して山中に12日間隠れていたが、8月3日に海軍部隊や 警防団員に捕まり、8月17日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ移送、米国へ帰還。 地元には、死亡搭乗員の墓が残されている。
【地元の男性(当時16才)の話】 墜落現場は、藤脇のバス停のすぐ近くの民家で、付近の何軒かが燃え、住民が2人ほど犠牲になった。米軍機の機体は、それほど破壊されていなかった。米兵の1人は、機体の残骸の中で胴体だけが焼け残っていたが、火葬して海に捨てたので、戦後、米軍が遺体の回収に来た時、何も見つからなかった。村の南側の山に降下した米兵は死亡した。村の西側の山に降下した米兵は捕虜になった。 |
1945年7月24日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ベローウッドから飛来したTBM(機体番号23128)が墜落。 |
Victor J. NORTON Jr.海軍少尉、William K. MALL三等飛行通信兵曹、James C. ROLLAND三等飛行機関兵曹が死亡。 |
1945年7月24日 |
広島県呉軍港付近 |
空母シャングリラから飛来したSB2C(機体番号20802)が墜落。 |
Alfred G. SYMONDS Jr.海軍中尉とEdward HICKS一等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月24日 |
広島県呉軍港付近 |
空母タイコンデロガから飛来したSB2C(機体番号21002)が墜落。 |
Kenneth W.SYMGROUT海軍少尉とPopa L.VAUORN三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月24日 |
広島県呉市沖の豊後水道 |
空母ベニントンから飛来したSB2C(機体番号20636)が墜落。 |
William TROYAN海軍少尉とRobert W. RICHARDS三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月24日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ランドルフから飛来したF6F(機体番号79400)が墜落。 |
Charles SAWERS海軍少佐が死亡。 |
1945年7月24日午後4時頃 |
広島県佐伯郡(現・江田島市)大柿町字大君の東洋紡績の工場沖300メートル付近 |
空母ベニントンから飛来したFG1D (機体番号88062)が墜落。 付近に停泊中の日本海軍の空母を攻撃中に対空砲火を受けた。 |
R.C.TABLER海軍大尉が墜落死。大柿町の海岸にパラシュートを着けた遺体が漂着、大柿町大君に埋葬。 |
1945年7月24日午前9時30分頃 |
広島県安芸郡鹿川村(現・江田島市能美町)沖 |
空母シャングリラから飛来したSB2Cが墜落。 |
Robert F.HANNA二等飛行通信兵曹とRichard W. MANN海軍中尉がゴムボートで漂流中、地元の漁民に救助されて捕虜。江田島憲兵隊から呉海軍刑務所に引き渡された後、27日に大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年7月24日 |
広島県呉市と空母ヨークタウンの間 |
FG1D(機体番号88367)が墜落。 |
Frank G. RITZ海軍少尉が死亡。 |
1945年7月24日 |
広島県広島湾と空母ボノムリチャードの間 |
TBM(機体番号69270)が墜落。 |
Joseph T.WILLIAMS海軍少尉、Richard C.ANDERSON三等飛行機関兵曹、Glen W.TREFORD三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月24日午前8時頃 |
岡山県浅口郡寄島町の海上 |
イギリス空母フォーミダブルから飛来したF4U(1842飛行中隊所属)が墜落。 連合軍戦闘機の編隊がロケット弾による地上攻撃を加えている時、1機が対空砲火により撃墜された。 |
この飛行機のオランダ人操縦士B.K.SWART海軍中尉と思われる遺体が、7月29日に岡山県小田郡神島外村大字高島海岸に漂 着し、村人によって埋葬された。 |
1945年7月24日 |
徳島県板野郡松茂村(現・松茂町)長原の徳島海軍飛行場 |
空母ハンコックから飛来したF4U(機体番号81179) が墜落。 徳島海軍飛行場を攻撃中に対空砲火を受けて撃墜された。 |
Clifford L.BAUSOR海軍少尉が死亡。 |
1945年7月24日 |
徳島県板野郡松茂村(現・松茂町)長原の徳島海軍飛行場沖 |
イギリス空母フォーミダブルから飛来したTBM(848飛行中隊所属)が墜落。 徳島海軍飛行場と高射砲陣地を攻撃中に対空砲火を受けて撃墜された。 |
A.C.FRANCIS海軍中尉とG.C.RAWLINSONが死亡。 |
1945年7月24日午前10時頃 |
香川県三豊郡粟島村大字粟島の東風浜沖50メートル |
イギリス空母インプラカブルから飛来したシー ファイヤー(第801飛行中隊)が墜落。 連合軍戦闘機の編隊が詫間海軍飛行場と、前日に粟島に座礁した貨物船雄洋丸に銃爆撃を加えている時、雄洋丸からの対空砲火を受けて撃墜された。 |
Glen E. BENDORE海軍中尉が死亡。遺体は海岸に引き上げられ、憲兵隊の手によって埋葬された。 |
1945年7月24日夕方 |
香川県三豊郡粟島村大字粟島の江灘浜と東風浜の中間付近 |
空母ボノムリチャードから飛来したTBM(機体番号695632)が墜落。 米海軍爆撃機の編隊が詫間海軍飛行場と、貨物船雄洋丸に銃爆撃を加えている時、対空砲火を受けて撃墜された。 |
Donald J.MAJESKY三等飛行機関兵曹、Ivan H.WITT Jr.海軍中尉、Asilvantes E.JONES三等飛行通信兵曹が死亡。遺体は現場付近に埋葬され、戦後、村人によって、上記のBENDORE海軍中尉とあわせて慰霊の十字架が立てられた。 |
1945年7月24日 |
香川県香川郡直島村家島の沖合 |
イギリス空母インプラカブルから飛来したファイヤーフライ(1771飛行中隊所属)が墜落。 岡山県宇野湾周辺を攻撃中に墜落。 |
Nevile G.DOY海軍中尉が死亡。30日に遺体が直島村家島の海岸に漂着、村人によって埋葬され、戦後十字架が立てられた。 |
1945年7月24日 |
香川県中多度郡広島村(現・丸亀市)立石浦の沖合 |
イギリス空母インプラカブルから飛来したファイヤーフライ(1772飛行中隊所属)が墜落。 岡山県宇野湾周辺を攻撃中に墜落。 |
John T. MORGAN海軍中尉が死亡。遺体は8月2日に立石浦の海岸に漂着し、村人に発見された。 |
1945年7月24日 |
愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)の新居浜(小松?)飛行場沖200メートル |
空母タイコンデロガから飛来したF6F(機体番号78995)が墜落。 飛行場を攻撃中に墜落。 |
Peter W.MAXWELL海軍中佐はパラシュートが開かず海上に墜落死。 |
1945年7月24日 |
愛媛県沖の豊後水道 |
空母ヨークタウンから飛来したF6F(機体番号78237)が墜落。 重巡利根を攻撃中に撃墜された。 |
Kenneth T. NEYER海軍中尉が死亡。 |
1945年7月24日 |
愛媛県沖 |
空母インディペンデンスから飛来したF6F(機体番号77562)が不時着。 |
Robert O.ZIMMERMAN海軍中尉が死亡。 |
1945年7月24日 |
四国と空母ヨークタウンの間 |
F6F(機体番号88080)が墜落。 |
Allyn C.SHEFLOE海軍大尉が死亡。 |
1945年7月28日午前9時頃 |
広島県佐伯郡深江村(現・江田島市大柿町)オハタダ |
SB2C(機体番号20902)が墜落。 呉軍港を攻撃中に対空砲火を受け、炎上しながら民家に墜落、7軒を破壊した。 |
氏名不詳の2人が焼死。佐伯郡深江村オツに火葬して埋葬された。 |
1945年7月28日 |
広島県佐伯郡西能美島 |
空母クーペンスから飛来したTBM(機体番号86157)が墜落。 |
William C. MAGUIRE Jr.海軍少尉、Gerald G. GOON三等飛行機関士、James K. DANIEL三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県佐伯郡西能美島 |
空母シャングリラから飛来したSB2C(機体番号20187)が墜落。 |
Edward F.GIBSON海軍少佐とCharles H.LINTZ二等飛行通信兵曹が死亡。8月頃、LINTZ二等飛行通信兵曹の遺体が安芸郡音戸町早瀬部落の学校裏の海岸に漂着。 |
1945年7月28日 |
広島県佐伯郡ホンウラ |
空母ワスプから飛来したSB2C(機体番号83221)が墜落。 呉軍港を攻撃中に対空砲火により撃墜された。 |
T.E.JENSON海軍中尉とRobert L. SAYRE二等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県安芸郡倉橋島の沖合 |
空母ランドルフから飛来したSB2C(機体番号83021)が墜落。 呉軍港付近に停泊中の日本海軍の潜水艦を攻撃中に撃墜された。 |
Claire T.WILLIAMS海軍中尉とClay D.DARLING三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島市似島の沖合 |
空母ワスプから飛来したSB2C(機体番号83246)が墜落。 |
Joseph D. BROWN海軍中尉とFrederick C. LOCKETT二等飛行通信兵曹が似島沖2キロを漂流中、午後3時頃、船舶練習部幸浦派遣所員らによって発見され捕虜。呉憲兵分隊を経て中国憲兵隊司令部へ送致。7月30日に東京の防衛総司令部へ移送され、戦後米国へ帰還。 |
1945年7月28日 |
広島県呉市の沖合 |
空母レキシントンから飛来したSB2C(機体番号20946)が墜落。 |
Joseph G. COSTIGAN海軍大尉とWarren K.COLLINS三等飛行通信兵曹が海上に降下して漂流中、29日の午後7時頃、日本の警備隊により捕虜。8月1日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母シャングリラから飛来したFG1D(機体番号88045or92003)が墜落。 |
Joseph G. HJELSTROM海軍中尉が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県佐伯郡オカダイオ |
空母レキシントンから飛来したTBM(機体番号86163)が墜落。 |
搭乗員3人のうちClarence M.GRAY三等飛行通信兵曹とNorton SIMS海軍少尉は死亡したが、Oliver L.HORN三等飛行機関兵曹がパラシュート降下して捕虜。8月1日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母シャングリラから飛来したTBM(機体番号68856)が墜落。 |
Guy M. BROWN Jr.海軍中尉、Charles E. SMITH Jr.二等飛行機関兵曹、William H. WIEN二等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ワスプから飛来したTBM(機体番号85953)が墜落。 |
Clarence R.JOHNSON海軍少尉、William A. HEMENWAY三等飛行機関兵曹、David L. HANCOCK三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母タイコンデロガから飛来したF6F(機体番号79358)が墜落。 |
Thomas G.SCHAEFER海軍少尉が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ベニントンから飛来したSB2C(機体番号21152)が墜落。 日本海軍の空母を攻撃中に対空砲火を受けて墜落。 |
Andrew B. HAMM海軍少佐が死亡。 George F.RUMRILL飛行通信兵曹はパラシュート降下して捕虜。8月1日に呉海軍刑務所から大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還。 |
1945年7月28日 |
広島県呉軍港付近 |
空母ヨークタウンから飛来したSB2C(機体番号20074)が墜落。 |
パラシュートが1個開くのが見えたが、Perry L. MITCHELL海軍中尉とLouis L. FENTON一等飛行通信兵曹の2人とも死亡。 |
1945年7月28日午後2時頃 |
広島県安芸郡江田島村(現・江田島市)字小用山ウエバタ |
SB2Cが墜落。 江田島村字小用の沖合に停泊中の戦艦榛名を攻撃中に対空砲火を受けて撃墜された。 |
1人は機体とともに墜落死、もう1人はパラシュート降下したが、米軍機の投下した爆弾により死亡。江田島村字中郷の小用峠の火葬場に遺灰。同年12月に米軍が回収。 【江田島市の女性(1932年生まれ)の話】 墜落現場は、切串の裏山の登り口付近で、操縦席には黒こげで首も手もない米兵の遺体があった。米軍機の機体は滅茶苦茶に壊れていたが、翼などは原型をとどめていた。戦後しばらくして地中に埋めた。もう1人の米兵はパラシュート降下したが死んでおり、小用峠の火葬場に運んで火葬した。パラシュートは村人が切り取って衣類などに使った。今もひもの一部を持っている。 |
1945年7月28日午後3時頃 |
広島県呉軍港付近の海上 |
空母ランドルフから飛来したSB2C(機体番号82981)が不時着。 呉軍港付近に停泊中の戦艦伊勢を攻撃中、対空砲火を受けて撃墜された。 |
Franklin B. MILLER三等飛行通信兵曹とGarland TRUSSELL海軍中尉が海上を漂流中に漁船に救助され、呉海軍に引き渡され、呉海軍刑務所に収容。8月1日に大船海軍捕虜収容所へ移送。戦後米国へ帰還。 |
1945年7月28日午後1時頃 |
広島県佐伯郡八幡村(現・広島市佐伯区)皆賀の山中 |
B24(機体番号44−40716、ニックネーム「TALOA」、沖縄基地第494爆撃群所属)が墜落。 沖縄の飛行場から飛び立ち、呉軍港付近に停泊中の戦艦榛名の攻撃に向かい、対空砲火により撃墜された。 |
Lawrence A.FALLS Jr.中尉、Robert C.JOHNSTON中尉、David A.BUSHFIELD一等軍曹、Charles R.ALLISON二等軍曹、Camillous KIRKPATRICK二等軍曹、Donald F.MARVIN大尉の合計6人が機体とともに墜落死、現 場付近に埋葬。 Walter PISKOR一等軍曹は、広島市太田川河口の三菱重機の工場の屋根にパラシュート降下、Rudolph C.FLANAGIN中尉は、広島市太田川河口付近の水上にパラシュート降下したが、いずれも飛行機の被弾時の傷により、捕獲と同時に死亡。彼らの遺体は広島市オナガ町のコクゼン寺に埋葬された。 Joseph DUBINSKY中尉(操縦士)、Julius MALNER二等軍曹、Charles O.BAUMGARTNER二等軍曹の3人が現場付近で捕虜、広島へ送られて中国憲兵隊司令部に拘留中、8月6日に原爆で死亡した。 |
1945年7月28日午後1時頃 |
山口県玖珂郡伊陸村(現・柳井市) |
B24(機体番号44−40680、ニックネーム「LONESOME LADY」、沖縄基地第494爆撃群所属)が墜落。 沖縄の飛行場から飛び立ち、呉軍港付近に停泊中の戦艦榛名の攻撃に向かい、上記の「TALOA」とほとんど同時に対空砲火により撃墜された。 |
搭乗員9人のうち、Roy M. PEDERSON Jr.少尉は墜落死し、1947年9月に地元の人が、玖珂郡高森町の山林内で白骨化した遺体を発見した。 以下の8人がパラシュート降下し捕虜。 Hugh H. ATKINSON軍曹は、玖珂郡南河内村で警防団により捕虜。岩国警察署から岩国憲兵分隊を経て、中国憲兵隊司令部 へ送致。8月6日に原爆により死亡したが、瀕死の重傷を負い、相生橋付近まで逃れて力尽きたとの目撃情報もある。 Ralph J. NEAL二等軍曹、Buford J. ELLISON軍曹、John A. LONG Jr.伍長の3人は、玖珂郡高森町で捕虜。山口憲兵分隊から岩国憲兵分隊を経て、翌日、中国憲兵隊司令部へ送致。このうちELLISON軍曹とLONG伍長は8月6日に原爆により死亡。NEAL二等軍曹は原爆投下時に重傷を負い、宇品憲兵分隊へ移されたが、19日に死亡。 James M.RYAN少尉は、29日夕方、玖珂郡南河内村で警防団により捕虜。岩国憲兵分隊を経て中国憲兵隊司令部へ送られ、8月6日に原爆により死亡。 Darden W. LOOPER少尉とThomas C. CARTWRIGHT少尉(機長)は、玖珂郡伊陸村で警防団により捕虜。光憲兵分隊の柳井分隊を経て中国憲兵隊司令部へ送致。LOOPER少尉は8月6日に原爆により死亡。CARTWRIGHT少尉は情報収集のため、7月30日に東京の防衛総司令部へ移送され、戦後米国へ帰還。彼は、1999年10月に広島を訪れ、被爆死した同僚の慰霊や墜落現場の地元の人々との交流行事を行った。 William E.ABEL二等軍曹は山中に逃げ込んで隠れていたが、空腹に耐えかねて、8月4日に山陽線の旅客列車に乗り込んだところを、市民からの通報を受けた海軍兵士によって徳山付近で捕虜。9日に呉海軍刑務所へ送られ、17日に大船海軍捕虜収容所へ移送、米国へ帰還。 |
1945年7月28日 |
山口県大島郡の沖合 |
空母タイコンデロガから飛来したSB2C(機体番号21079)が墜落。 呉軍港の攻撃に向かい、対空砲火を受けて墜落した。 |
Norman R. BRISSETTE三等飛行通信兵曹とRaymond PORTER海軍中尉が、午後4時頃、山口県大島郡の沖合(宮島の南西)を漂流中に、暁部隊の下士官6名により発見され捕虜。宇品の憲兵分隊を経て中国憲兵隊司令部へ送致。PORTERは8月6日に原爆により死亡、BRISSETTEは原爆投下時に重傷を負い、宇品憲兵分隊へ移されたが、19日に死亡。 |
1945年7月28日午前11時頃 |
山口県熊毛郡上岡村ホオジロ島西1キロ付近の海上 |
空母ランドルフから飛来したF6F(機体番号72 ー623)が不時着。 |
John J. HANTSCHEL海軍少尉は僚機に「エンジンの不調で不時着する」と無線連絡し、また同行の米軍機からは彼がゴムボートに乗り移るのが見えた。29日朝、漁師が山口県吉敷郡東岐波村の丸尾部落の沖2マイル付近を漂流中の米兵を発見して救助。彼は丸尾部落から山口憲兵隊へ連行され、さらに中国憲兵隊司令部へ送られた。その後の消息ははっきりしないが、8月6日に原爆で死亡した可能性が強い。 |
1945年7月28日 |
広島湾と空母ボノムリチャードの間 |
TBM(機体番号69270)が墜落。 |
Richard C.ADOLPHSON三等飛行射撃兵曹、Joseph T.WILLIAMS海軍少尉、Glen W.WEATHERFORD三等飛行通信兵曹が死亡。 |
1945年7月28日 |
広島県と沖縄県伊江島の間 |
B24(機体番号44−42127、ニックネーム「BOOTS」、沖縄基地第43爆撃群所属)が墜落。 沖縄基地から呉軍港を攻撃して撃墜された。 |
機長のCharles H.KERNS少尉など11人全員死亡。 |
1945年7月28日 |
鳥取県美保飛行場 |
空母ワスプから飛来したF6F(機体番号79339)が墜落。 |
Thomas H.MORTON海軍中尉が死亡。 |
1945年7月28日 |
愛媛県松山市の飛行場 |
空母タイコンデロガから飛来したF6F(機体番号78524)が墜落。 |
Oyrus H. WALKER海軍少尉が死亡。 |
1945年7月28日 |
高知県沖と空母タイコンデロガの間 |
TBM(機体番号69208)が墜落。 |
Paul R.STEPHANS海軍中尉、Robert J.PIERPAOLI二等飛行通信兵曹、Eugine EGMONFE三等飛行通信兵曹が死 亡。 |
1945年8月8日 |
福岡県沖の壱岐島東方60キロの日本海 |
B29(機体番号42−63512、ニックネーム「NIP CLIPPER」、第313 航空団9爆撃軍所属)が墜落。 日本軍の対空砲火を受けた模様。 (注)作戦任務第319号(目標:八幡市街地、第58・73・313航空団から出撃245機、損失4機) |
George F.KELLER少尉(機長)はパラシュートが開かず死亡したが、下記の10人が海上に降下した。 Walter R.ROSS少尉、Stanley H.LEVINE少尉、Carleton M.HOLDEN少尉、Eugene V. J.CARRELL少尉、 Martin L.ZAFPE軍曹、Gerald J.BLAKE軍曹、Robert M.CONLEY軍曹、Christas NIKITAS軍曹、Traver HERMAN軍曹、Selby L.FOWLER一等軍曹。 彼らはゴムボートで漂流中、14日に島根県美濃郡鎌手村(現・益田市)の高島沖で漁船に救助され、大浜海岸へ連行された。翌15日に益田駅から山口憲兵分隊へ移送中、終戦となる。16日に広島市宇品の中国憲兵隊臨時司令部に送られた後、広島捕虜収容所向島分所へ移され、9月に米国へ帰還。 |
1945年8月9日午前10時頃 |
愛媛県温泉郡余土村 |
P47(機体番号44−87817)が墜落。 30〜40機の米軍機が松山海軍飛行場を攻撃中、対空砲火を受けて重信川の川原に墜落。 |
John HEATHOOTE少尉が墜落死。 |
1945年8月9日午前10時頃 |
愛媛県温泉郡余土村 |
P47(機体番号44−88179)が墜落。 松山海軍飛行場をロケット弾で攻撃中、上記の飛行機と接触し、海岸沖数キロに墜落。 |
Robert FASS中尉は米軍の救助機に救助された。 |