1943年9月11日 |
千島列島パラムシル島東方沖 |
B24(機体番号41ー23890、36爆撃中隊所属)が墜落。 |
機長のFrank T.GASH少佐など11人全員死亡。 |
1943年9月11日 |
千島列島パラムシル島 |
B25(機体番号42ー53345、77爆撃中隊所属)が墜落 |
機長のA.W.BERECEZなど全員死亡 |
1943年9月11日 |
千島列島パラムシル島 |
B25(機体番号42ー53349、77爆撃中隊所属)が墜落 |
機長のJ.D.HUDLLESONなど全員死亡 |
1943年9月11日 |
千島列島パラムシル島 |
B25(機体番号42ー53354、77爆撃中隊所属)が墜落 |
機長のQ.T.STANDIFORDなど全員死亡 |
1943年11月8日 |
千島列島パラムシル島とアリューシャン列島アッツ島の間 |
B24(機体番号42−0129)が墜落 |
機長のHarrell R.HOFFMANN大尉など10人全員死亡 |
1944年3月25日 |
千島列島とアリューシャン列島アッツ島の間 |
PV1(機体番号34641)が墜落 |
機長のWalter S.WHITEMAN海軍大尉など6人全員死亡 |
1944年5月6日 |
千島列島パラムシル島付近 |
PV1(機体番号48733)が墜落 |
機長のAlpheus A.WHEAT Jr.海軍中尉など5人全員死亡 |
1944年5月13日 |
千島列島シムシュ島 |
PV1(機体番号48934)が墜落 |
機長のHardy V.LOGAN Jr.海軍大尉など6人全員死亡 |
1944年7月8日 |
千島列島シムシュ島付近 |
B24(404爆撃中隊所属)が墜落 |
William V.CAVANADON伍長が捕虜。大船海軍捕虜収容所へ送られ、戦後、米国へ帰還。 |
1944年9月9日 |
千島列島パラムシル島付近 |
B25(77爆撃中隊所属)が墜落 |
Albert D.SCOTT少尉、William GZLLO少尉、Raynold P.JAKUSSI軍曹の3人が捕虜。大船海軍捕虜収容所へ送られた後、GZLLO少尉とJAKUSSI軍曹は1945年1月15日に東京捕虜収容所に移送、SCOTT少尉は6月21日に東京捕虜収容所に移送。彼らは戦後、米国へ帰還。 |
1944年9月19日 |
千島列島シムシュ島付近 |
B25(77爆撃中隊所属)が墜落。 |
William A.DIXON少尉が捕虜。大船海軍捕虜収容所を経て、1945年4月5日に東京捕虜収容所に移送。戦後、米国へ帰還。 |
1944年12月29日 |
千島列島パラムシル島のすり鉢飛行場 |
B25(機体番号43−36128、77爆撃中隊所属)が墜落。 |
機長のBANKER少尉など、搭乗員全員死亡。 |
1944年12月29日 |
千島列島パラムシル島のすり鉢飛行場 |
B25(機体番号43−36136、77爆撃中隊所属)が墜落。 |
機長のCOLLIER少尉など、搭乗員全員死亡。 |
1945年1月23日 |
千島列島シムシュ島とラパトカ岬の間の海峡 |
B24(機体番号42−41152、404爆撃中隊所属)が墜落。 |
パラシュート3個が開くのが見られたが、機長のCharles TALBOTなど搭乗員11人全員死亡。 |
1945年3月10日午前0時〜2時頃 |
宮城県刈田郡七ヶ宿村不忘山山腹 |
以下の3機のB29が相次いで墜落。 (注)作戦任務第40号(目標:東京市街地、第73・313・314航空団から出撃325機、損失14機)東京空襲へ向かったが、悪天候により進路を誤り、乱気流に巻き込まれた模様。 戦後、地元の人たちにより、墜落現場付近に死亡した米兵の慰霊碑が建立された。 |
B29(機体番号42−63564、ニックネーム「CHERRY−THE HORISONTAL CAT」、第314航空団29爆撃群所属) |
機長のFirman E.WYATT中尉など11人全員死亡。 |
B29(機体番号42−65310、第314航空団19爆撃群所属) |
機長のSamuel M.CARR大尉など12人全員死亡。 |
B29(機体番号44−69747、第73航空団498爆撃群所属) |
機長のHubert L. KORPSMEIER少尉など11人全員死亡。 |
1945年4月12日 |
福島県郡山市とグアム島の間 |
B29(機体番号44−69857、第314航空団330爆撃群所属)が墜落。 (注)作戦任務第65号(目標:郡山化学工業会社、第314航空団から出撃85機、損失2機) 郡山空襲の帰途、悪天候により墜落した模様。 |
機長のJames F.LAWRENCE中尉など6人が死亡。 |
1945年4月26日 |
千島列島の沖合 |
B24(機体番号41−23848)が墜落。 |
(不明) |
1945年5月19日 |
千島列島シムシュ島 |
アッツ島から出撃したB25(機体番号42−36140、77爆撃中隊所属)が不時着。低空で偵察飛行中、エンジンとプロペラを破損、海岸の松林に不時着した。 |
Milton E.ZACK少尉、Walter BAILEY伍長、Robert L.TRANT伍長、Raymond B.LEWIS少尉、Edward N.BURROWS准尉、William BRADLEY伍長の6人が捕虜。 彼らはパラムシル島へ移され訊問を受けたが、このうちLEWIS少尉、BURROWS准尉、BRADLEY伍長の3人は天領丸で北海道へ送られる途中、5月29日夜、サハリン東方で米潜水艦の魚雷攻撃を受け、乗船が沈没して死亡。 ZACK少尉は飛行機で、BAILEY伍長とTRANT伍長は船で北海道へ送られ、札幌月寒の北部軍管区司令部で訊問を受けた後、 苗穂の札幌刑務所に収容。戦後の9月11日、千歳でアメリカの第8軍に引き渡され、米国へ帰還。 |
1945年5月19日 |
千島列島パラムシル島付近 |
アッツ島から出撃したB25(機体番号43−36152、77爆撃中隊所属)が墜落。 |
機長のJohn DAUGHTREYなど全員死亡。 |
1945年7月14日午前6時10分頃 |
北海道函館港の沖合 |
空母ランドルフから飛来したSB2C(機体番号20692)が墜落。日本軍の対空砲火を受けて墜落した。 |
Charles E.MILNOR三等飛行兵曹が死亡。 Warren F.LANGLEY海軍少尉は海上にパラシュート降下して捕虜。憲兵隊に引き渡され、札幌月寒の北部軍管区司令部で訊問を受けた後、苗穂の札幌刑務所に収容。戦後の9月11日、千歳でアメリカの第8軍に引き渡され、米国へ帰還。 |
1945年7月14日午前 |
北海道千歳郡樽前山 |
空母シャングリラから飛来したSB2C(機体番号21164)が墜落。 |
飛行機は、苫小牧〜室蘭間の鉄道を攻撃中に霧で視界を失い、樽前山の斜面に衝突した。 Howard E.EAGLESTON海軍中尉は墜落時に死亡。Oliver B.RASMUSSEN一等飛行通信兵曹は、機体から投げ出されて生存。彼は山中に隠れて68日間生き延び、戦後の9月19日に下山して市民に発見され、苫小牧警察に保護された後、千歳の米軍に引き渡され、米国へ帰還。 |
1945年7月14日午前7時頃 |
北海道付近の海上 |
空母ヨークタウンから飛来した2機のF6Fが空中衝突して墜落。 |
Richard G. CROMMELIN海軍少佐が死亡。 |
1945年7月14日午前 |
北海道函館と空母ランドルフの間の海上 |
F6F(機体番号78255)が墜落。 |
Glen G. HAYNES海軍少尉が死亡。 |
1945年7月14日 |
北海道沖と空母バターンの間の海上 |
F6F(機体番号78012)が墜落。 |
John W. WRIGHT Jr.海軍中尉が死亡。 |
1945年7月14日午前 |
北海道沖と空母バターンの間の海上 |
TBM(機体番号68908)が墜落。 |
Clifford L.FLUITT海軍中尉、Robert J.THOMAS三等兵曹、William R.BROWNING三等兵曹の3人が死亡。 |
1945年7月15日午後1時40分頃 |
北海道小樽湾 |
空母ベニントンから飛来したTBM3が不時着。 |
港湾施設等を攻撃中、自機の投下した爆弾の破片で損傷し、海岸から約10マイル沖の海上に不時着した。搭乗員3人は、僚機の投下した救援物資を受け取り、救命ボートで留萌沖の海上を漂流中、20日に漁船に発見され、Joseph C.DORICH三等飛行通信兵曹が漁民と争って殺害された。彼の遺体は8月15日に増毛海岸に漂着した。Ernest J.DAVIS Jr.三等射撃兵曹とClifford S.MEHELICH少尉は、海岸にたどり着き、山中に逃げ込んだ後捕虜。21日に札幌月寒の北部軍管区司令部を経て、苗穂の札幌刑務所に移送。戦後の9月11日、千歳でアメリカの第8軍に引き渡され、米国へ帰還。 |
1945年7月15日昼頃 |
北海道小樽湾 |
空母ヨークタウンから飛来したF6F(機体番号78090)が墜落。 |
Herman B. CHASE海軍中尉はパラシュート降下したが行方不明。 |
1945年7月15日昼頃 |
北海道小樽湾 |
空母ヨークタウンから飛来したFG1D(機体番号86125)が墜落。 |
Robert G. SHEPHERD海軍少尉が死亡。 |
1945年7月15日昼頃 |
北海道小樽湾付近 |
空母ヨークタウンから飛来したF6F(機体番号88052)が墜落。 |
Maurice D. SPRINGER海軍少尉はパラシュート降下したが行方不明。 |
1945年7月15日 |
北海道寿都港 |
空母シャングリラから飛来したFG1D(機体番号76692)が墜落。 |
John S. WEEKS海軍中尉が死亡。 |
1945年7月17日午後10時頃夜 |
福島県東白河郡豊田村(現・矢祭町)大字下奥河内字追分の国有林 |
空母ボノム・リチャードから飛来したF6F(機体番号78757)が墜落。 |
Henry A. SCHRWEID海軍少尉が死亡。 |
1945年7月 |
青森県三沢飛行場 |
米軍の艦載機が墜落。 |
1945年8月9日 |
青森県大湊市 |
SB2C(機体番号68138)が墜落。 |
Ernest G. PORUPUSKY海軍中尉とRichard J. RAYMONDが死亡。 |
1945年8月9日午後2時頃 |
青森県大湊湾 |
空母エセックスから飛来したSB2C(機体番号65221)が墜落。 |
Paul BACCI海軍少尉とWilliam M.DRISCOLLが死亡。遺体は回収できず。 |
1945年8月9日午前 |
宮城県牡鹿郡女川港の沖合 |
イギリス空母フォーミダブルから飛来したF4Uが墜落。湾内に停泊中の日本の艦艇を攻撃中に対空砲火により撃墜された。 |
カナダ人パイロットのRobert.H.GRAY大尉が死亡。 女川町では、1989年に崎山公園に慰霊碑を建立して、カナダとの交流活動を行っている。 |
1945年8月9日午後 |
宮城県牡鹿郡女川港の沖合 |
イギリス空母インディファティーカブルから飛来したシーファイアが墜落。 |
James CROSSMAN少佐が海上にパラシュート降下し、漁船に救助されて捕虜。女川憲兵分隊、石巻憲兵分隊を経て仙台の東北軍管区司令部へ送られたが、終戦により、17日に東京の大森捕虜収容所に移送、イギリスへ帰還。 |
1945年8月9日 |
宮城県仙台市の東方沖 |
空母エセックスから飛来したFG1D(機体番号88329)が墜落。 |
William H.HARRIS中尉が死亡。遺体は回収できず。 |
1945年8月9日午後 |
福島県田村郡守山町(現・郡山市)大字正直 |
イギリス空母ヴィクトリアスから飛来したF4U(機体番号225)が墜落。郡山飛行場への機銃掃射と写真撮影任務中に撃墜された。 |
Sydney NEWTON海軍中尉が死亡、正直の除古共同墓地に埋葬。 |
1945年8月10日 |
青森県の沖合 |
空母エセックスから飛来したFG1D(機体番号76752)が墜落。 |
Clinton E. WEAR海軍中尉が死亡。遺体は回収できず。 |
1945年8月10日 |
青森県大湊湾と空母タイコンデロガの間 |
F6F(機体番号78998)が墜落。 |
Wiliam L. PETERSON海軍中尉が死亡。 |
1945年8月10日 |
青森県大湊軍港と空母タイコンデロガの間 |
F6F(機体番号78990)が墜落。 |
Granville W.COWAN海軍中尉が死亡。 |
1945年8月10日午前 |
福島県田村郡宮城村大字高倉字作田権現堂 |
空母ワスプから飛来したF6F(機体番号79301)が墜落。 |
Warren S.ANDERSON中尉はパラシュートが開かず死亡。 |
1945年8月10日午後2時頃 |
福島県郡山市下八木八ケ作 |
イギリス空母フォーミダブルから飛来したF4Uが墜落。郡山飛行場を攻撃中に撃墜された。 |
Leslie A.MAITLAND海軍中尉が死亡。 |
1945年8月10日午前 |
福島県岩瀬郡西袋村(現・須賀川市)西川 |
イギリス空母インディファティーカブルから飛来したファィアーフライが墜落。郡山飛行場を攻撃中に、対空砲火を受け、翼がちぎれた。 |
Burn F.O’NEILL海軍少尉とThomas L.DARBY海軍少尉が田んぼにパラシュート降下して捕虜。須賀川憲兵分隊、郡山憲 兵分隊を経て、仙台の東北軍管区司令部へ送られたが、終戦により、17日に東京の大森捕虜収容所へ移送、ニユージランドへ帰還。 |
1945年8月10日 |
福島県田村郡滝根村(現・田村市滝根町)の神俣駅付近の畑(現・滝根運動場) |
イギリス空母インプラカブルから飛来したTBF(機体番号JZ136)が不時着。 |
Victor H.SPENCER海軍中尉とJack ROGERSON下士官は機体から脱出して逃走したが、2日後に双葉郡川内村上川内付近の山中で発見され、警防団員に包囲され捕虜。川内村の国民学校に駐屯していた日本軍部隊に引き渡され、トラックで原町憲兵隊へ送られたが、その途中、この英軍機部隊の機銃掃射を受けて被災した(18戸焼失、3人死亡)川内村の住民らが捕虜に襲いかかろうとする一幕もあったという。彼らは仙台の東北軍管区司令部へ送られたが、終戦により、17日に東京の大森捕虜収容所に移送、イギリスへ帰還。 |
1945年8月10日 |
福島県郡山市とイギリス空母インディファティーカブルの間 |
ファィアーフライ(機体番号979)が墜落。 |
T.A.G.MacBRIDE海軍中尉とG.D.ROBERTS海軍中尉が死亡。 |
1945年8月10日 |
山形県北村山郡福原村(現・尾花沢市)大字毒沢の雑木林 |
空母ハンコックから飛来したF4Uが不時着。尾花沢飛行場を攻撃中に被弾。 |
John M.PETERSON海軍少尉が住民に捕まり、仙台の東北軍管区司令部へ送られた後、17日に東京の大森捕虜収容所に移送され、戦後米国へ帰還。 |
1945年8月28日午後5時頃 |
秋田県南秋田郡戸賀村(現・男鹿市)男鹿真山 |
B29(機体番号44−69998、第73航空団497爆撃 群所属)が墜落。 秋田県大館市の捕虜収容所に救援物資を空輸中の3機のB29のうちの1機が、悪天候により事故を起こした。 |
機長のJohn M.CRIPPS中尉など11人が死亡したが、Norman H.MARTIEN Jr.軍曹は生存しており、12時間後に地元住民により救助された。1964年、地元住民によって墜落現場付近に供養塔が建てられ、さらに、1990年、アメリカからMARTIEN夫妻が招かれ、男鹿市の加茂青砂小学校に「平和の碑」が建立された。 |
1945年9月4(18?)日午前 |
福島県石城郡磐崎村(現・いわき市)湯ノ岳中腹 |
B29が墜落。常磐炭鉱の捕虜収容所に救援物資を空輸中の操縦ミスによる。 |
搭乗員13人全員死亡。 |