冲鷹 |
冲鷹(ちゅうよう)
所属 | 海軍 |
類別 | 特設空母(「新田丸」改造) |
基準排水量 | 17,830トン |
速度 | 21ノット |
出発地 | トラック島 |
目的地 | 横須賀 |
出発日 | 1943年11月30日 |
捕虜数 | 米21名 |
遭難地点 | 八丈島東方 |
遭難日 | 1943年12月4日 |
捕虜死者数 | 20名 |
捕虜生存者数 | 1名 |
写真提供 | 光人社 |
軽空母「瑞鳳」、「冲鷹」、その姉妹艦「雲鷹」と、ラバウルで損傷し、トラック島で応急修理をした重巡「麻耶」を4隻の駆逐艦が護衛し、1943年11月30日、同島を出発して内地に向かった。このとき、同年11月19日.「山雲」が撃沈した米潜「スカルピン」から救出した米捕虜41名を「冲鷹」に21名、「雲鷹」に20名、それぞれ分乗させていた。途中、季節外れの台風並み暴風雨の中で、米潜「セイルフイッシュ」は、ウルトラ情報注)により「冲鷹」に接触し、深夜、早朝、日出後の3回にわたり攻撃、これを撃沈した。
捕虜のうち唯一の生存者となったジョージ・ロセック機関兵曹は、小さなハッチが一つだけの小部屋に他の捕虜と一緒に閉じこめられていたが、被雷のどさくさに紛れて飛行甲板まで脱出した。そして「冲鷹」の沈没後、彼は数名の日本人と筏で4時漂流し、「浦風」に救助された。同艦が内地に帰着すると、ロセックは縛られ、目隠しをされて大船収容所に連行された。ここで、彼は「雲鷹」に乗っていた20名の「スカルピン」乗組員と再会した。
「冲鷹」の乗組員、便乗者約3,000名のうち副長、運用長、他約170名が生還した。
注:ウルトラ情報とは、日本海軍の暗号 JN-25 からのアウトプットによる主要艦船の動向に関する暗号通信を解読したもの。