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生駒丸

生駒丸(いこままる)

所属 日本郵船
類別
総トン数 3,156トン
速度
出発地 パラオ
目的地 ニューギニア・ホーランディア
出発日 1944年1月20日
捕虜数 印611名
遭難地点 パラオ南東
遭難日 1944年1月21日
捕虜死者数 418名
捕虜生存者数 193名
写真提供 日本郵船歴史博物館

「生駒丸」は「靖国丸」と船団を組み、駆潜艇「32号」と特設駆潜艇「47号」が護衛し、ガソリン、食糧、弾薬、郵便物などと一緒に捕虜(印度独立旅団の兵士:日本陸軍に強制的に組み込まれた印度兵。過去6カ月間、パラオで労働した者もいた)を輸送していた。ウルトラ情報(「冲鷹」の項を参照)を受信した米潜「シーホース」が、悪天候をついて同船団を数時間、高速で追跡して待ち受け、夜間浮上攻撃で23時17分、手前の貨物船(生駒丸)に魚雷を3本発射した。1本が「生駒丸」に命中。「シーホース」は、遠くの貨物船を攻撃しようと向きを変え始めたところ、外れた魚雷が思いがけず「靖国丸」にも命中し、同船は20分で沈没した。最初の攻撃で「生駒丸」は左舷機関室に被雷し、次の攻撃で魚雷がガソリンを積んでいた第3船倉に命中したので大火災が発生、2分で沈没した。2隻の駆潜艇は、荒れた海の中を駆け回って日本人を救助した後、印度兵を救助した。船員43名と印度兵418名が死亡者した。