もんてびでお丸 |
もんてびでお丸
所属 | 大阪商船 |
類別 | 貨客船・海軍徴用特設輸送船 |
総トン数 | 7,266トン |
速度 | 18ノット |
出発地 | ラバウル |
目的地 | 海南島三亜 |
出発日 | 1942年6月22日 |
捕虜数 | 1,053(豪軍/民間人845/172、他36)名 |
遭難地点 | ルソン島ボヘアドール岬西北西60海里 |
遭難日 | 1942年7月1日 |
捕虜死者数 | 1,053名 |
捕虜生存者数 | 0名 |
商船画提供 | 上田毅八郎 |
「もんてびでお丸」は高速船だったので、護衛なしでニュー・アイルランド島西方の危険海域を通過し、フィリピン海を北西に向けて航行していた。7月1日、2時29分、ルソン島ボヘアドール岬西北西60海里(北緯18度40分, 東経119度31分)において、米潜「スタージョン」の攻撃により、魚雷2本が右舷後部4番、5番船倉に命中した。同船は右舷に傾き、船尾から沈み始めたので、船長は「総員退去」を命じた。2時40分、同船は完全に海面から姿を消した。この間、船倉の中にいた捕虜の面倒をみた者はいなかった。若干の日本人船員を除き、乗船者全員が海没。ルソン島に上陸できた日本人船員も、ゲリラに悩まされたり、攻撃されたりして、18名が7月25日、ようやく日本陸軍の前哨地点に到着した。豪州における最大の戦時海難といわれている。