POW研究会トップ研究報告捕虜輸送中に沈没した船>豊福丸
 
豊福丸

豊福丸(ほうふくまる)

所属 大阪商船
類別
総トン数 5,824トン
速度
出発地 マニラ
目的地 日本内地
出発日 1944年9月20日
捕虜数 1,289(英1,076、蘭213)名
遭難地点 ルソン島マシンロック沖
遭難日 1944年9月21日
捕虜死者数 1,047名
捕虜生存者数 242名
写真提供

豊福丸は、泰緬鉄道工事完成後の第2日本班を乗せてシンガポールを出発するが、マニラに1カ月以上停泊した。その間に死亡者が続出。同船は、「第一小倉丸」やその他の船舶で構成するマタ-27に所属し、海防艦4隻と機雷敷設艦「江の島」に護衛されてマニラを20日午後遅く出発、その夜は、スービック湾に仮泊した。

翌21日朝出発後、コレヒドール島の北方約80海里の海域で、10時35分から始まった米第38機動部隊の艦載機の2波、約100機の攻撃を受けて沈没した。英約100名、蘭約100名が陸岸に泳ぎ着くか、他の船舶に救助され、ビリビッドとカバナツアンに収容された。42名は海防艦に救助され、25日高雄に到着した。

陸岸に泳ぎ着いた者のうち165名は、1944年10月3日、米捕虜1,000名と共に「北鮮丸」で高雄に移動した。