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順陽丸(順洋丸)

順陽丸(順洋丸)(じゅんようまる)

所属 馬場商事
類別 貨物船
総トン数 5,065トン
速度
出発地 ジャワ島バタビア
目的地 スマトラ島パダン
出発日 1944年9月16日
捕虜数 捕虜約2,200(米14、蘭約1,700、他アンボン・メナド人506)名・ジャワ人労務者4,320名
遭難地点 スマトラ島モアカモアカ沖
遭難日 1944年9月18日
捕虜死者数 捕虜1,520名・ジャワ人労務者4,120名
捕虜生存者数 880(乗船者数6,520のうち)名
商船画提供 上田毅八郎

「順陽丸」は、2隻の小型砲艦に護衛されて出港した。港からほど近いところで一昼夜待機した後、西に向かって航海を始め、翌朝スンダ海峡を通過してインド洋に出た。その後、北西に針路を取って、スマトラ島の沖合を航行ながらパダンを目指した。18日17時半頃、ズシンという音がして、船体が振動した。船倉にいた者は跳び起き、梯子をよじ登って甲板に出た。数秒後、前よりもひどい轟音と衝撃が起こり、煙が後部船倉に押し寄せて来た。これが、英潜「トレードウインド」の雷撃によるものであった。

「順陽丸」では大混乱が起きた。「被雷した。総員退去」乗組員が口々に叫び、人々は我先にと海中に跳び込んだ。「順陽丸」の船尾は海中深く沈み、船首が空中に持ち上がった。しかし、幾百名もの人間が船の舷側や甲板にしがみついていたのである。船体が突然傾斜し、二つの大きな穴が前方マストの下と船尾に見えた。持ち上がった船首部分には労務者が折り重なっていた。助かろうと思ってか、マストに登る者もいた。更に船体が立ち上がり、多くの人間が甲板を転がって、海中に落ちた。「順陽丸」は、ほぼ垂直になって、真っ赤な夕陽を背にしながら沈んだ。

約2,200名の連合軍とインドネシア人捕虜のうち1,520名、4,320名のジャワ人労務者のうち4,120名が死亡した。一隻当たり5,640名の犠牲者が出たことは、太平洋で最悪の海難といわれている。

880名の生存者はパダンに連行され、スマトラ鉄道の建設に従事した。戦争が終わったとき、生きのびた捕虜は、96名に過ぎなかったという。